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新築マンション
東京都港区高輪3
4510万円~7050万円
新築マンション
東京都品川区大井1
未定
鈴木町駅徒歩1分。
「京急川崎」へ直通5分。「品川」駅・「横浜」駅へ13分圏内の軽快アクセス
大型ショッピング施設「イトーヨーカドー」が徒歩1分にあるなど、平日も休日も家族みんなが楽しめる全303邸。
商業・文化施設が集積する「川崎エリア」が生活圏
新築マンション
神奈川県川崎市川崎区港町
2760万円~5750万円
渋谷11分・自由が丘6分・大手町26分・品川18分と交通に便利な上、多摩川を前に自然があふれて環境もよい。
敷地内・エレベーターには防犯カメラが設置、日中は管理員が常駐して、夜間は警備員が待機する24時間有人管理体制のマンション安心ですね。
新築マンション
東京都世田谷区玉川1
4900万円~2億50万円
中古マンション
東京都港区三田4
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千葉市内最高階層43階建、オール電化、免震タワーレジデンス。24時間有人管理、コンシェルジュサービス。
中古マンション
千葉県千葉市中央区中央3
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新築マンション
神奈川県横浜市鶴見区尻手1
3300万円台~5900万円台
JR山手線大崎駅直結徒歩約3分の39階建てツインタワーマンション
新築マンション
東京都品川区大崎2
4420万円~9580万円
地上44階建ての超高層マンション。大崎駅・五反田駅の2駅利用可。
新築マンション
東京都品川区東五反田2
4590万円~1億4040万円
京急久里浜線「北久里浜」駅からマンションまで、地上にあるエントランスゲートを抜け、マンションへ直結するエレベーターを利用するところが特徴的です。マンションまでは駅からたったの3分というところが魅力の一つで、エントランスゲートにはオートロックが設備されていて安全対策もしっかりされています。マンション自体は地上50メートルの丘の上に建っていることもあり、超高層マンションから観る景色を堪能できそうです。
新築マンション
神奈川県横須賀市池田町5
2990万円~4750万円
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09年に京都の紅葉、07年に奈良の正倉院展に行きました。今回は、これらとは異なるテーマということで、一巡りで30分以上歩く宿泊者専用の自然散策路があり、テラスからの景色も抜群な、蹴上にあるウェスティン都ホテル京都に泊まって、左大文字、飛鳥+阿修羅像、北白川+高瀬川+鴨川の飛び石+琵琶湖疎水等の水辺、伏見稲荷&平等院を巡る旅としました。
結果は、景色は抜群だったものの、Bグルはことごとく敗退したというものでした。なお、行程は以下のとおりです。
6月6日(日)
品川発 10:07(のぞみ221号 11号車)→ 京都着 12:21
京都駅前(205系統 反時計回り)→市役所前
昼食:常磐(寺町通り ビフカツ丼、筍うどん)
市役所(17、32系統)→銀閣寺道→大文字山
銀閣寺道(5系統 毎6分毎)→法勝寺町→徒歩300㍍→ホテル
夕食:ウエスティン都ホテル
6月7日(月) 朝食:ホテル
蹴上(8:32)→京都(8:49)
→近鉄京都駅(9:10)→(10:26)橿原神宮前駅(10:29)→(近鉄吉野線)→(10:33)飛鳥駅
→サイクリング(8㎞) 鬼の雪隠&俎→亀石→橘寺→石舞台
→昼食:飛鳥藍染め染色館(田楽)→亀形石&酒船石→飛鳥寺
→飛鳥資料館(キトラ壁画)→橿原神宮前駅(14:37)→(15:05)大和西大寺(15:09)
→(15:14)近鉄奈良→興福寺(16:30まで)→近鉄奈良(18:17)→(19:03)京都
夕食:丸福(定食)
6月8日(火) 朝食:Caffee Club高木屋(ウエスティン都ホテル西隣、モーニング500円)
楽チャリ東山三条:地下鉄東山、0120-318-319 予約可 9時~17時 電チャリ
東山三条→古川町商店街→白川南通→辰巳大明神→河原町四条→鴨川(右岸遡行)
→三条→木屋町通(高瀬川遡行)→ 一之舟入(市役所裏、日銀とHオークラの間)
→二条(鴨川へ)→1番目の飛び石(ホテルフジタ前)
→2番目(荒神橋の上)→3番目(出町柳の合流)→鴨川分岐を左
→4番目(府立植物園の前)→5番目(西賀茂橋)→上賀茂神社(東山から8㎞)
上賀茂神社→鴨川→下鴨神社→出町柳商店街(右岸 上賀茂神社から4㎞)
→昼食(満寿形屋:出町柳商店街、サバ寿司2切れと小うどん千円)
→鴨川(左岸)→二条大橋→琵琶湖疎水→発電所→水路閣→蹴上→東山三条(5㎞)
夕食:志る幸(利休弁当 2,500円)先斗町4条上がる
6月9日(水) 朝食:Caffee Club高木屋
蹴上→京都→JR奈良線→宇治)→平等院
→宇治→JR奈良線→稲荷→伏見稲荷大社→稲荷山散策(鳥居多数、一周二時間)
→京都→烏丸御池→昼食:尾張屋(烏丸御池)→烏丸四条
おみや:いず重(サバ寿司、稲荷)
京都発 16:42(のぞみ244号 13号車)→ 品川 18:56着
2010/09/03 08:09:37
秋色の京都、滋賀名所めぐり 2日間
初日は天台宗めぐり
東京(7:25~9:00)発→品川→新横浜→名古屋→[紅葉]●金剛輪寺(湖東三山のひとつ、紅葉が特に有名)→[紅葉]●[世界遺産]比叡山延暦寺(11月初旬から山々が色づきます)→◎京都市内(夕食はおばんざい料理バイキング/60分)→[紅葉]●青蓮院門跡夜間特別拝観ライトアップ(国宝「青不動明王二童子像」を見学)→夜:京都市内(泊)
朝:京都市内→[紅葉]●[世界遺産]清水寺(京都屈指の名刹)→[紅葉]◎嵐山散策(約2時間半たっぷり自由散策)→[紅葉]●東福寺(紅葉の代名詞、通天橋からの眺めは格別)→◎八つ橋工場見学→◎京漬物老舗「川勝」→京都→新横浜→品川→東京(21:00~22:10)着
≪事前OP≫昼食:嵯峨料理「良弥」にて嵯峨御膳/おひとり2,000円
ハズレなく色あせ始めた紅葉もあったがどこも満足できるタイミングで観光できたことはとてもラッキーなことなのです。
金剛輪寺
http://www.kongourinji.org/
比叡山延暦寺
http://www.hieizan.or.jp/
http://www.hieizan.gr.jp/index.html
青蓮院
http://www.shorenin.com/
嵐山
http://www.arashiyama-navi.info/
京都ライトアップ
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/momiji/meisho/index_yakan.html
http://www.e-kyoto.net/topics/momiji/night/
http://www.digistyle-kyoto.com/event/lightup.html
M82011
2010/08/30 06:08:30
「今年の夏は屋形船で」という学生時代の同級生の誘いを受け、久しぶりに屋形船に乗ってきました。
同級生10数名に、その家族や友人など総勢20数名が参加。
夕方6時半に北品川を出航し、お台場沖で停泊。
大型船が近くを通るとけっこう揺れて、酒では酔わない数名が軽い船酔いに。
揚げたての天ぷらは美味しく、夜景も綺麗で、気合いの入った女子4名は浴衣姿で登場し、夏の夜を堪能しました。
2010/08/29 07:08:11
横浜線は一昨年開業100周年を迎えました。
明治期から昭和前半まで我が国最大の輸出物と言えば「生糸」です。
当時、生糸は東北北海道沖縄方面を除き日本本土各地で生産されておりましたが、国内外でも高評価で1級品認定されていたのは長野県産品と群馬県産品だった。
件の物は製品化された上で外貨獲得の重要物資として横浜港から主に北米へと輸出される。
群馬県産品は群馬から横浜までの輸送ルートが、日本鐵道(高崎→品川間)・逓信省鐵道作業局(品川→横濱間)と単純で運賃も廉価で済んだのに対し、長野県産品は、逓信省鐵道作業局(長野県内各駅→八王子間)・甲武鐡道(八王子→新宿間)・日本鐡道(新宿→品川間)・逓信省鐵道作業局(品川→横濱間)と数社に跨る事から運賃が嵩み群馬県産品との競走上、不利にならざるを得ず、明治30年代後半ともなるとその差が歴然として深刻な状況が招来した。
此の為に八王子から横濱に向け鉄道建設を願う声は日に日に高まったもが、明治政府は横濱線が政府主要建設予定路線だったにも拘らず、日露戦争の結果、戦費収納を優先とし財政的余裕が無く、故に、民間出資に拠り横浜-八王子間の鉄道会社を設立する方向に固り、紆余曲折の後、明治35年(1902年)8月23日に茲に正式に『横濱鐵道株式會社』が設立され本社は横濱市青木橋に設置され、直ちに鉄道運営に必要な機関車、軌条、機材類を米フレザー商会横浜支店を仲介して発注した。
当時は現在の如く簡単に入手すべき可能な時代などでは無く、船便での発注手配であり、軌条に至っては、明治39年(1906年)製造になる。
明治41年(1908年)9月23日に東神奈川-八王子駅間全線が開業した。
当時は横濱鐵道が将来の政府建設予定線である事を理由に早くも明治43年(1910年)4月には政府が借上げて運営される事となり運賃が鐵道院路線と同額となり通し計算が可能になった事から利用者にとってメリットは大きいものだったと推定される。
横濱鐵道開業の頃より国内知識層間に軌間拡大論が展開される。
即ち、明治政府は鉄道建設開始にあたり英国人設計担当者より日本人担当者に対し軌間採用設定に就いて質問した処、件の日本人担当者は業務知識絶無な上に内容に就いて理解も吟味をもし得ず単純に狭軌を採用する旨、回答した為に、爾来、我が国で軌間と言えば狭軌を採用した事で此れが今日でも主流となる。
然るに、輸送上に関し狭軌(1067㎜) 対 標準軌(1435㎜)はワイドな標準軌採用の方が何かと有利たる事は自明の理であり、明治期後期ともなると国力に余裕が生じると輸送量不足と拡大化とを求める声が国内に台頭する。
政府としても広軌化論を無視放置する訳にもならず、取り敢えず借上げ運営中の横濱鐵道原町田(現 町田)-橋本駅間施設を改築して走行試験を試行する事となり、大正6年(1917年)5月23日に件の区間を3線化、若しくは、4線化工事完了を以って実験を開始する。
広軌化改造工事に拠る結果は、蒸気機関車の広火室化の容易、燃費向上、速度抵抗軽減等々、狭軌より標準軌の方が約32パーセント増の効果が確認され、広軌化に拠る経済効果は大なりと判定されたにも拘らず、政変の為に西園寺内閣は総辞職を余儀なくされ改軌案賛成の民政党から対立する政友会が政権を獲得した為に大蔵省に依る予算計上まで完了していたにも拘らず広軌化計画は頓挫する。
政友会の主張は「広軌化改造に要する諸費用を以って地方諸路線新設を優先すべし、云々」との意見を開陳し反対したが、即ち、政友会の主張に沿って建設された地方路線は此の時期から昭和初期にかけて全国に及び、件の路線の殆どが当初から人口希薄地域を通す赤字路線であり、戦後になり此れら路線を継承した日本国有鉄道の財政を逼迫させ破綻させた大赤字の萌芽たる地方赤字ローカル線問題は此れら路線建設の結果を招来させた。
即ち、政友会の主張と裏腹に実際には国益の為の路線建設などでは無く、現実は政友会代議士の露骨な利権追求の為の票田建設と言ふ方が正しく、昭和初期に政友会大物衆議院議員で長野県選出の小川平吉(おがわ へいきち)(明治3年(1870年)1月2日~昭和17年(1942年)2月5日)は田中義一(たなか ぎいち)内閣の鐵道大臣在任中に私鉄路線建設申請に関する免許状乱発交付で露骨な贈賄行為を反復させた事で世に言ふ『私鉄疑獄事件』を起し、小川は鐵道大臣経験者と言ふ親任官職にも拘らず司法検察当局に逮捕拘留され裁判に付され大審院(現在の最高裁判所)で有罪が確定し実刑に処され位階剥奪されるが如く、此の手の政友会代議士は国益より利権に走狗する行為が露骨で『我田引鉄』を得意とした。
政友会の後塵直系組織たる現在与党たる○○党が、度々の利権報道と司直強制捜査で先般も贈賄容疑で元公設秘書が逮捕拘留されるが如きは、此の悪しき伝統が根をおろしているものと考えるを得ず、大所高所から国民の目線をして誠に遺憾な行為といわざるを得ない。
結局、標準軌採用は見送られ、本格的採用は昭和39年(1964年)10月1日に東海道新幹線開業まで留保される。
標準軌改築工事が実施された同年10月に政府は横濱鐡道全線を正式に買収させ政府資産とする事に決定し、茲に横濱鐡道は正式解散し、官有たる『鐵道院横濱線』として新たなる出発をします。
国立公文書館に保存されている当時の公文書本文に政府の本心が垣間見れる。
因みに文中の「新宿線」とは現在の山手線です。
横濱鐵道借受ノ件
別紙内閣総理大事請議横濱鐵道借受ノ件ヲ審査スルニ右ノ相当ノ儀ト思考ス依テ請議ノ通閣議決セラレ可然ト認ム
指令書
横濱鐵道借受ノ件請議ノ通 明治四十三年二月三日(印)
運第壱百弐拾壱号
横濱鐵道借受ノ件
横濱鐵道ハ官設鐵道東海道線ト中央東線トノ間ニ位シ新宿経由ノ官設線路ニ対シテハ競争ノ捷路タルヲ以テ之ヲ政府ニ借受ケ東海道ト中央東線トノ連鎖トシテ管理スルコトハ独リ新宿線ノ輸送上ニ於ケル負担ヲ軽減スルノミナラス東海中央ニ線ノ運輸ヲ圓満ナラシムルモノニシテ頗ル得策ナリト認ム且同會社カ既ニ許可ヲ得タル横濱港内ノ延長線及出願中ノ海面埋立ト本院ノ計画ニ係ル横濱港ノ海運連絡ト相待テ其ノ効用ヲ完フスヘキモノナルニ依リ
其等ノ権利ヲ継承シテ工事ヲ遂行スルノ必要アリト信テ大略左ノ条條件ヲ以テ横濱鐵道會社ト契約ヲ締結セントス
一)該鐵道ノ運輸営業ニ要スル各種建造物車輛及附属品ヲ伴セテ借受クルコト
二)天災事変ニ起因シ損害ヲ来シタル場合ノ各種建造物及車輛等ノ修理保存ハ一切政府ノ負担トスルコト
三)借用料ハ該鐵道ノ営業成績ト該鐵道ヲ政府ニテ管理スル為メ官設鐵道ノ受クヘキ利益トヲ参酌シ其金額ヲ定ムルコト
四)該鐵道ノ借受期限ハ壱ケ年トシ政府ノ都合ニ依リ同一ノ條件ヲ以テ通計弐拾箇年ニ達スル迄壱ケ年毎ニ契約ヲ更新スルヲ得ルコト
但シ借用料ハ契約更新ノ都度之ヲ協定スルコト
五)臨港延長線及横濱港北防波堤ニ沿ヒ港内ニ面スル埋立工事ハ政府ノ費用ヲ以テ施行スルコト
六)前號ニ依テ政府ノ投シタル費用ハ鐵道返還ノ場合ニ於テ現実ニ存スル増加価格ヲ會社ハ政府ニ弁償スルコト但シ海面埋立ハ返還セサルコト
右閣議ヲ請フ
明治四十三年一月十八日
内閣総理大臣 侯爵 桂 太 郎
横濱鐵道株式會社社長 朝田又七殿
内閣総理大臣 侯爵 桂 太 郎 殿
当時の山手線は現在の様に複々線で客貨が分離されてる構造にはなっておらず複線で電車を頻発運転させながら貨物列車を割込運転させる等、綱渡り的運転を強いられ、既に運転上で列車遅延は常態化し飽和状態だった。
また、政府としても横浜北港埋立構築は日露戦争後に於ける対外国策上必要不可欠要件であり、横濱鐵道借受は政府にとって正に一石二鳥効果を得る事が可能だった事が垣間見える。
即ち、借与中に於ける民有所有物たる動産不動産諸施設に対する改造変更は、現財物に対する変更行為と言ふ、法的矛盾を生じせしめ、当時の内閣法制局の指摘を根拠に買収を決定させた。
後年、昭和初期に鐵道省東京-大阪間3等運賃と富士身延鐵道富士-甲府間3等運賃がほぼ同額とされ『富士身延鐵道』を政府於いて筆頭高額運賃軽減をはかる目的で借上運営中の諸設備向上を理由に鐵道省が改良工事に着手せんとして前述の指摘を受け工事中止をせざるを得ない状況が現出し、此れ以降、政府や鐵道省は民間鉄道会社を民設公営の厄介で中途半端な借上経営を止め買収実行の形態へと変化する。
例外的に借上げ形態を採用したのは京成電気鐵道上野公園(現 京成上野)-日暮里間で、大東亜戦争中に鐵道省本省の疎開先として選定され、強制借上げ後は狭軌に改軌し運用が中止され休車中の1、2等寝台車や1等展望車を搬入して防空壕代りに使用された。
殊に、昭和12年(1937年)7月2日に日華事変が勃発以降は、戦時軍事輸送体系円滑化の強化を目的として戦時買収が活発化する。
或る日、政府から会社に突然、代表者を鐵道省本省に招致出頭せしめる電報が送達され、本省に出頭した担当者は否応無く買収を受諾させられる事態が常態化する。
買収条件は一定期間売却禁止の戦時国債交付と被買収企業の解散禁止され、然も、戦後になり我が国を見舞った超インフレ経済に依り売却期限が到来した戦時国債の証券価値は紙屑同然になり、故に、各方面から買収資産価値変換と無償払下運動が勃興するが、大蔵省は解決済との頑な態度に終始し、被企業側は鐵道省や運輸通信省にタダ取りされたと言ふ根深い恨みを残す事になる。
東神奈川駅は鐵道院東海道本線と横濱鐵道乗換駅として鶴見-神奈川駅間に横濱鐵道が建設し完成と同時に鐵道院に無償貸与された。
よく横浜市民ですら東神奈川駅が存在するのに何故、(本)神奈川駅が存在せぬのかとの疑問を抱く様ですが、本来、神奈川駅は明治5年(1872年)7月10日に開業していた為に、「神奈川駅に対する東の駅」という意味合いで東神奈川駅と命名される。
然し、昭和3年(1928年)10月15日に横浜駅が現在地に移転し神奈川-横濱駅間が180メートル弱しか離れていない為に前日の10月14日限りで開業以来56年間の歴史に幕を閉じた為に東神奈川駅だけが残ると言う変則的事態になった次第。
鐵道省は東海道本線横濱-國府津駅間、横須賀線大船-横須賀駅間、及び、熱海線國府津-小田原駅間を1500ボルト直流電化する事に決定し、大正12年(1923年)に工事着手する。
然し、工事途中にして関東大震災に遭遇し電化工事は一時頓挫する事になったが、電化に関する要員教育研修を兼ね当時の横濱線に再び実験線としての栄誉を賜り、東神奈川-原町田駅間の電化工事を大正13年(1924年)6月15日に着手し同月26日に完成させると言ふ記録的突貫工事で完成させ直ちに試験運転を開始する。
東海道本線電化工事が完了し東京-小田原駅間等で試運転が本格的開始の前に横濱線電化諸施設は本来の用途目的を達成させた事から遊休化したが、横濱線沿線で地元有力者が此れら設備を見逃す筈も無く、再三にわたり鐵道省に対し件の区間の電化諸施設の活用策として横濱線列車を蒸気機関車から電気機関車牽引に変更要求が提議される。
然し、昭和初期に鐵道省は電気機関車の国産化を成功したとは申せ、当時の電気機関車1輌に於ける製造価格は大型蒸気機関車1輌と比較しても際立って高価な存在であり、概ね、EF52型電気機関車1輌の製造諸経費はC51型大型旅客用蒸気機関車2輌分に相当し、当時の震災復興中の鐵道省予算内での新造は困難な状態であり、且つ、当時の電気機関車保有数に余裕も無い事から鐵道省が横濱線に電気機関車を導入し電気運転するなど論外的見解と言ふべきであり、実際に不可能だったに相違無い。
然るに、大正末期頃から東京圏内に於いて1500ボルトに拠る電車運転が成功裡を修めると横濱線も電車運転の気運が盛上り、昭和7年(1932年)11月23日より概電化区間に於いて電車運転が開始される。
此の時に横濱線用として田町電車区より横須賀線を代表する半鋼製電動車モハ32型と池袋電車区より木造制御車クハ17型が東神奈川電車区に配転され2輌編成で運転される。
モハ32型には貫通幌が設置されていたのに対しクハ17型には幌が無くモハ32型の相手無き幌がフワフワと浮き上がりながら運転されました。
またクハ17型は老朽木造車故に走行中は車体がギシギシと唸り菱形に変形しながら走るものの、電化しても毎時1本の運転形態は変化なく継続する。
また残りの原町田-八王子駅間には昭和8年(1933年)10月1日からガソリン動車キハ41000型が導入され運用を開始される。
昭和12年(1937年)7月7日に勃発した日華事変の頃より横濱線を取巻く環境は隣接地域の小田原急行鐵道(現小田急電鉄)、相模鐵道と共に戦時体制に組込れてます。
即ち、当時の社会情勢は帝國陸軍に拠る施設拡充を行使したくとも人口密集地たる東京府内に於いて最早困難性を極める事態を招来し府内に存在する諸施設を東京近郊に移転させる必要性が生じ、殊に、陸軍士官学校が東京市谷台より相模原に移転した事も手伝い急に此の地に軍事施設が盛況を極めます。
特に、陸軍士官学校卒業式に臨席あらせられる昭和天皇御乗の御料車を含む6輌編成の御召列車が八王子経由で原宿-原町田駅間、若しくは、原宿-相模鐵道本線相武台下駅間に運転され、原町田、相武台下双方の駅に簡易ながら御召列車専用ホームと関係諸施設が構築された。
他方、横濱線沿線に軍事施設、軍需工場の進出に拠り旅行数が鰻登り的激増を見せ、東神奈川-原町田駅間では、従来の2輌編成の電車が毎時1本の牧歌的運転で事足りていたものが、朝夕は4輌編成15分間隔となり急に慌しくなる。
原町田-八王子駅間のガソリン動車の運転では各車輌に運転士を乗務させ先頭車運転士のブザー合図に拠り各車での単独運転させる為に最大3輌迄の編成しか組成出来ず、又、昭和15年(1940年)1月29日に大阪安治川口駅ガソリンカー脱線転覆火災事故で死者189名負傷者69名を出す大惨事が教訓となり、横濱線全線が単線である事も輸送上の障害を来たしていた為に、昭和16年(1941年)4月5日に残り原町田-八王子駅間も電化され横濱線全線で電車運転される。
また同日に陸軍省の要請に拠り駅間が長かった淵野辺-橋本駅間に相模原駅が開設される。
相模原駅開業に因み、同名駅が存在した小田原急行鐵道所属駅相模原駅は、鐵道省から開業を直前に重複を避ける為に『小田急相模原駅』に改称を命令される。
大東亜戦争中に於ける横濱線沿線最大の被害は、昭和20年(1945年)5月29日白昼堂々と実行された『横浜大空襲』に依るもので、横浜市内では東急電鉄湘南線黄金町駅、及び、神奈川区反町付近から東神奈川駅付近に至る地域の被害が他地域を圧倒し、東神奈川駅、及び、隣接する東神奈川電車区は米空軍B29重爆撃機から投下された1トン爆弾2発、及び、焼夷弾数十発が命中した為に、電車区では留置中の電車14輌全車と全施設が全焼全滅し、東神奈川駅では東急電鉄京濱線仲木戸駅付近で焼夷弾命中発火に拠り発生した火砕流が東神奈川駅構内に流れ込み、退避中の駅長以下駅員数名が此の火砕流に巻き込まれ、重軽傷者24名以外の7名は全員行方不明で遺体の一部すら発見されなかった事から此れら被災職員に対し戦時失踪者扱が認定され全員殉職扱いされる。
東神奈川駅は西口跨線橋、東部信号所、及び、ホーム擁壁部を除き此れ以外の全施設設備が被災全滅し、復旧に相当期日が見込まる事から、京濱線電車は駅復旧まで営業扱を中止され全列車が東神奈川駅を通過し運転される。
同年6月3日附を以って桜木町駅長飯田泰次郎氏が東神奈川駅長に赴任し混乱収拾をはかる。
横濱線は東神奈川駅構内が徹底的に破壊され電車発着が不可能となった事から現在の大口駅南側に相当する地点に古枕木を積重ねた臨時乗降場を設置し、横濱線電車は此処で八王子方面に折返し、利用客は新子安駅まで徒歩連絡で当座を凌ぐ。
横浜大空襲で当時大口に存在した日本大学専門部横浜校舎が全焼し、終戦直後に日吉と三島に移転転出した跡地が日本大学から無償提供を受け、此れを活用して昭和22年(1947年)12月20日に大口駅が開設される。
大口駅が戦争の申し子的感が無きにしも非ぬ存在だったにも拘らず、此れ以降、戦後の横浜線は既設駅間に雨後の筍の如く新規駅建設に明け暮れた感が強い。
横浜線は他線区に比較して複線化完成まで極めて遅動だった。
特に、小机以遠の工事が10年以上経過後に再開するが此れは複線化工事中の当時の日本国有鉄道の財政悪化が主原因である。
全線完成に至っては民営化後にずれ込む。
菊名-新横浜間 昭和42年(1967年)10月22日
新横浜-小机間 昭和43年(1968年)2月4日
大口-菊名間 3月12日
東神奈川-大口間 3月19日
小机-中山間 昭和53年(1978年)10月2日
中山-長津田間 昭和54年(1979年)4月1日
長津田-原町田(現 町田)間 7月15日
淵野辺-相原間 9月14日
町田-淵野辺間 昭和55年(1980年)9月27日
相原-八王子間 昭和63年(1988年)3月6日
現在の横浜線は純然たる通勤通学路線です。
然し、驚く勿れ、探せば歴史的遺産はアチラこちらに残存します。
現在、起点の東神奈川駅第2番ホームには横濱鐵道開業当時の側壁の関東煉瓦八王子工場製煉瓦積や上屋支柱に使用されている古レールは横濱鐵道開業当時の発注品の成れの果てです。
表紙の写真は東神奈川駅第2ホーム上屋支柱に残る横濱鐵道創業時に米国カーネギー社から輸入使用された古軌条群と横浜線用205系電車
2010/08/28 10:08:06
JR品川駅より徒歩で 旧街道沿いに寺社や名所旧跡を巡りながら区立品川公園へ
2010/08/25 07:08:04
和 なごみの店舗情報や店内写真、料理メニューなどの情報が満載です。
#NAME?を写真でチェック。メニューやドリンク情報を確認して準備は万全!
なにわ食彩しずくのフォトギャラリー。写真で料理やお店の雰囲気が見られます。
和dining 柊 syuの店舗情報や店内写真、料理メニューなどの情報が満載です。
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竹取夢御殿 池袋店を写真でチェック。店内の様子や料理・メニューを写真で確認できます。
七厘家 姫路店の店内情報を事前にチェック。写真で見られるから安心です。
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